新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

41 「歳をとる」とはどういうことか

歳をとるとはどういうことか

    大体、人が歳をとるというのは何を基準にして決めるものだろうか。
 暦にも太陽暦とか、太陰暦とかいろいろあって、年にも長いのと短いのがある。

 こんなもので人が若いか老いているかを決めるのは、単に人を肉体とみなしてのことだ。中には酉年生まれとか巳の年生まれとか何とか言って騒いでいる人達もいる。
 
 もちろん人が集まって社会をなしている以上は、都合のために何か共通の基準を決めておくのも便利だろう。しかし人の老若を決めるのに必ずしも太陽の回転だけで数えなくてもいいだろう。

「春至り、時和(やわ)らげば、花なお一段の好色を鋪き(しき)、鳥すら幾句の好音(こういん)をてんず。
士君子(しくんし)幸いに頭角をつらね、また温飽(おんほう)に遇うも、好言(こうげん)を立て好事(こうじ)を行うを思わざれば、これ世にある百年といえども、あたかもいまだ一日を生きざるに似たり」
と、昔の人も教えてくれている。

 そこで年をとるというのは、一体どんなことを意味するか。

 去年はああいうことがあったけど、今年はそれがなくなった。
 
 去年はお酒で失敗したけど、今年はそれがなくなった。

 去年は人の悪口を言ったけど、今年はそれがなくなった。

 去年は人をうらやましがるくせがあったが、今年はそれがやんだ。

…というように、自分の決心と実行とが両方ともなって、より高い向上発展が実現されたなら、真(まこと)の歳をとったのだ。暦を繰り返したからといって、必ずしも老年というのではない。
 そして、この意味で歳をとるのはただ単に馬齢を加えるのと違って、星霜(せいそう)を経(ふ)れば経るほど精神が若返り、それこそ老いてますます盛んになり、衰えることはなく、成熟する。

 

参考:『修養』新渡戸稲造(たちばな出版)