新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

3〜6 はじめに

新渡戸稲造

『修養』
はじめに
 
    僕は昔こういう話を聞いたことがある。
    昔、何とかっていう(仮に A 先生とします。)物知りの儒学者がいた。すごく沢山の本を読んで、知らないことは何もなかった。だけど、読んで分かったことを活用することができなかった。たくさん勉強したこともむなしいことに全然役に立たなくて、少しも利用できなかった。
    やがて歳をとり、記憶力は衰えて、読んだ本のことだけでなく見たことや聞いたことまで全部忘れて、人に会っても、しばらくすると、その人の名前も見た目も全部忘れてしまうようになった。自分の年まで忘れて、さらにひどいことに、話す相手が目上の人なのか目下の人なのか区別がつかなくなり、男も女も年寄りも子供も、何も分からなくなった。
 
    周りの人は、A先生のことをあざ笑って「忘却先生」と呼んだんだそうです。
 
    この話を聞いてから、僕は本を読むたびに「これもいつかきっと忘れてしまうのだろうな。」と思わないでもない。
 
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    だいたい僕は、 A先生程に物知りじゃないから、 A 先生の例えを聞いてすぐに自分にあてはめるのは、ちょっと厚かましいかな、とも思う。ただ、忘れるっていうことに関しては、残念ながら僕も、実に A 先生に一歩も引けを取らない。白状しておく。
 
    実際暇なとき、調べ物をしたときに読んでいた昔の本を取り出して、コメントが書きこんであるのをみると、「いつこんなの読んだっけ?」って。「よくこんなにいっぱい読んだなあ。」って、自分でも不思議に思うことがよくある。
   
    僕もあっという間に、知らない間に年をとって、まさに50歳を過ぎようとしている。
    いろいろあったけど若い人に何もしてあげられていない。
 
    早くもすでにいろんなことを忘れ始めていて、 A先生と同じ道を辿るとなったら、悔しい…。
    そこでひとつ。今まで聞いたことを若い人にも教えて、今日までいろいろ考えて僕が感じたことをありのままに言って、これからを生きる人の参考にしたいと思った。
    そんなこんなで、雑誌「実業之日本」の余りページを使って毎月2回、読者にいろいろ言ってきたけど、そのコメントも積もりに積もって百回分くらいになる。これは自分の専門学のついでにたらたら感想をもらしただけだから、自分でも浅はかで薄っぺらいなって思うことも多いです。あと、「ここのところもっと詳しく説明したい。」って思う部分もあります。
     最初から、結構いろんな人に読んでもらいたいっていうのを重視してます。車をひく人や、外で芝刈りをするような一般の人にもよくわかるように、簡単な言葉にした方がいいと思い直したんです。
 
     だから難しいことは省いて、とにかくやさしい言葉を使って浅く平たく書きました。
 
 
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    だから頭のいい人から見ると、笑ってしまうようなことももしかしたら沢山あるかもしれない。
 
    実際よく友達から、「話す時に,あんまり簡単な言い方だと、あなたの役職上よくないんじゃないの。もう少し趣があったほうがいいんじゃない。」とアドバイスされたことがある。
 
    それに人と話してるとつい自分の経験談を言いがちだけど、でも本当に頭のいい人って、そういうことを他の人には言わないんだよねえ、とか…
 
そんなふうに考えて恥ずかしいと思わないわけでもない。
    そういう事を自分でも,分かってないわけじゃないんですけど、これこそ、 僕とA 先生のよく似たところじゃないが、話していると相手が子供なのかお年寄りなのかも忘れてしまう。自分の今の立場も、これって恥ずかしいことなのかそれとも良いことなのかとか、そういうことも忘れちゃう。
 
    「面白い!」って思ってつい話しちゃっただけです。
 
    だからこの本を読む人も「変なの。」って思うことがもしあったら、今言った僕の欠点が出た、しょうがないと思って許してください。
 
    この本は、何かにつけて感じた事を何となく書いたものなので順序もグチャグチャだし、ただ「新渡戸稲造はこう考えた」っていうことでしかない。1回限りの雑誌だったらともかく、これをわざわざ単行本にする価値があるかどうかってところは自分でも疑問だけど、沢山の読者から要望があったので恥ずかしいんだけど単行本にしました。
 
 
    もしこの本を読んで、1人でも2人でも、迷ったときに役に立って、落ち込んだときに力になって、泣いている時に涙を拭く気になって、不満な気持ちを和らげることができたら、これこそ僕が心から喜ぶことです。
    年齢とか恥ずかしいとか、そういうことを忘れたかいがあったなあと思って、皆さんに感謝します。
 
明治44年7月