新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

50〜52 青年はさっぱりと淡泊でいよう

3  青年の第三特性

青年はさっぱりと淡泊でいよう

青年は
淡泊(シンプル)でなければならない。
自然に従って開けっ放して
拗ねたところなく すらすらとして
少しもひがみがない必要がある。

青年のうちは天性で淡泊な人もいる。
また、若いときには淡泊だった人が
年寄りになるに従って、
世の風や荒波にもまれて
シンプルさを失う人もいる。

権力のある人の前に出たり、
地位のある人に接したりすると
心にもないお世辞を述べて
お辞儀ばかりする人もいる。
これは地位権力に
何かを求めているので、
その相手によって少しなりとも
利益をせしめようとしている
欲から来るのだ。

青年は
世の中に求めるところが少ない
名誉とか出世とか、
ちまちました小欲がない。

もし欲があるならば、
それは偉大な欲である。
したがって、
人に「はい。はい。」と言って
機嫌をとろうともしなければ、
秘密とすることもない。

空海濶(てんくうかいかつ)
なんのわだかまりもない。

最も、このシンプルということも
考え方でいろいろになる。
僕はシンプルということには
二通りあって
頭のシンプルなのと
心のシンプルなのがあると思う。

頭はいつまでも単純では困る。
日に日に文化発展しなくてはならない。
ここにいるシンプルというのは
後の意味
すなわち心のシンプルなことを
指すのである。


悲しいことに
僕はこの点についても
日本人が西洋人に劣っていると
言わなければならない。

むかし日露戦争当時
アメリカから
ケナンという通信員が
来ていたことがある。
彼は大のロシア通であるとともに、
また大のロシア嫌いで
僕もときどき会って
彼と話したことがある。
ある日の夜、
彼は、
日本とロシアのふたつの国を比べて、
面白い話をした。

彼の話によると、
「私はかつてロシアにいた頃
    中流以下の人から
    よく夕飯をご一緒にと招かれた。
    その時の料理がいかに粗末で
    美味くなくとも、
    主人の方は決して
    食事が粗末なことについて
    少しも言い訳などしない。
    主人の待遇は
    いかにもシンプルで飾り気がなく、
    本当の気持ちを私に見せてくれた。
    だから食事が美味しくなくても、
    とても旨く愉快だと感じた。

    ところが日本に来てから
    ディナーの案内を受けるとどうか。
  『まことにお粗末様です。
      お口に合わないでしょうが。』
    と長々しい挨拶を聞かされる。
    ところが食堂に入ってみると
    実に立派な食事で
    食べきれないほど用意してある。
    ところが。
    さて会話はとなると
    淡泊に打ちとけたところがなく
    何も得ることがない。
    今しがた言い訳をしていたのとは
    全く違っている。
    懇談すると言い出したくせに
    打ちとけない。
    これは
    日本人が自分をへりくだる場合だから、
    差し支えないようなものの、
    さて、
    こうなると日本人の言うことは、
    飾り立てた嘘があって信用できない。
    口で言うことが、
    腹の中で思っていることかどうか
    疑わしい。
 

    そうかといって
    私はごちそうの自慢をしろと
    勧めているわけではない。
    客を歓迎する方法は
    食べ物よりも
    シンプルに打ちとけた交際が
    必要ということだ。
   

    たとえ自分が褒められても、
    それが果たして
    日本人の本当の気持ちから
    出たことなのか。
    それとも、ただ単に
    人前でお世辞を言っただけなのか
    分からないなら
    愉快ではない。
    従って珍しい高級料理を並べて
    ごちそうされるけれど
    本当に愉快な気持ちで
    心の中を見せてもらったことは
    まだ一度もない。

 

    私は日本国家と国民に
    とても共感しているが、
    日本人に対して
   どうも親しみの観念が起こらないです。」

と通信員ケナンは語ったことがある。
本当に残念なことではあるが
実際、日本人には
淡泊(シンプル)の点が
欠けている。

 


参考:『修養』新渡戸稲造(たちばな出版)

修養 (タチバナ教養文庫)

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