新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

46 日本の若者は、ずいぶんと年寄りぶる

2.青年の第二の特性


日本の若者は、ずいぶんと年寄りぶる

東洋の習慣では 全般的に、
昔やった仕事を数えて、それが多いのを
喜ぶ傾向がある。

過去とはいえ
その人がやった仕事が多いのは、
もちろん喜んでいい。

また、これと同時に 年長者を
尊敬するふうもある。

「翁(おう)」という字を 使いたがり、
近頃は 若翁(じゃくおう)だなんていう人さえ
いる。

老人は多くの実体験を積んでいる。

老人を尊敬するのも この点に注目したからだが、
後には この尊敬すべき理由を忘れて
老人でありさえすれば
必ず全ての人を尊敬しようとして、
老人の方もまた
理由なく他の人から尊敬されようとする。

そんなわけで 若い人もこぞって老人ぶる。
若者が老人ぶるのは
東洋諸国全般に共通してみられる弊害だ。

中国と朝鮮半島はとてもその傾向がある。
日本はそれに比べると
ややその傾向は少ないけれども、
それでもまだまだ老人ぶっている。

のびのびとすべき子供らまで 爺々くさい。
大人びなければ世間の尊敬が
受けられないと思って、
全体の態度が老人ぶっている。

単に態度だけではない。
その思想までもが、少年でありながら
老人らしくなる。
その人自身が好んでそうしたがるし、
世間まで これが良いことのように思っている。
よほど注意しないと、すぐに若老人になって、
若いのに使えない人になってしまうように、
社会の空気が出来上がっている。
だから せっかく伸びる素質のある青年も、
途中で悪固まりに固まって、
盆栽の松みたいになっているところを
よく見る。

だいたい、人の体力などでも
若くて筋肉に弾力があるときは
修練しだいで いくらでも発達させられるけれど
年をとって筋肉が硬くなれば、
なかなか難しくなるのと同じで、
若くて弾力ある心でこそ、
初めて心も発達できるものだ。

ところが筋肉の弾力は
年にしたがって不可抗的に減っていくが、
心の弾力の方は、
心がけしだいで墓に入る日まで保つことができる。

一斎さんの言葉を借りる。
「身に老少あり、しかして心に老少なし、
 気に老少あり、しかして理に老少なし、
 すべからく よく老少なきの心をとり、
もって 老少なきの理を 体(たい)すべし」

 

参考:『修養』新渡戸稲造(たちばな出版)