新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

45 年をとっているか若いかは、今後やるべき事の多い少ないで決まる

年をとっているか若いかは、今後やるべき事の多い少ないで決まる


ユウェナーリスという文学者が、
昔のローマ帝国の全盛時代について
書いたことがある。
世間の好みが派手好きになり、
人の心が乱れて
女性の道徳が墜落したことを述べ、
女性の年齢を数えるのに
公認の暦で数えないで、
離婚するために結婚した男と
結婚するために離婚した男の数で
計算するようになった
と悲しんだ。
(Women counted the number of their years not by consular fasti but by the number of husbands they married in order to divorce and divorced in order to marry.)

本当に
そんなことがあったのかどうか
分からないけど、
人が若いか年寄りかを決めるのに
年齢以外にも標準があることを
示した言葉だ。

上の例は
僕が言いたいことの
極端な乱用だけれども、
僕が言いたいことの
良い方の意味も
ここから分かってもらえると思う。

つまり、年老いているのか若者なのかは、
これからなすべき事業が
有るか無いかと
それが多いか少ないかによって
定めるべきだ、と。

昔やった仕事を数えれば数えるほど、
年寄りになるのだ。

青年はこれからする理想に
富んでいる人でなければならない。

将来に多くの理想を抱いていることは、
青年の特徴だ。

例えば
100里の道を行く者が
60里、70里のところまで到達して
「僕はここまで成功できた」
なんて思うのは、
そろそろ年寄りになる兆候だ。

百里に行く者は九十里に半(なか)ばす」
というが
その90里に到達すれば
目の前に横たわる道が
さらに増えて
180里にもなる。
つまり、希望と理想が増えてくる。

参考:『修養』新渡戸稲造(たちばな出版)