新渡戸稲造『修養』を緩く読む

新渡戸稲造『修養』(たちばな出版)を見ながら、およそ1日1ページを目標に緩い言葉づかいにするブログ。

23〜25 全体について 修養とは何を意味するか

全体について


修養とは何を意味するか

 
     修養とは、読んだそのまま、「修め養う」と書いてあるから、これだけですでに意味なんて分かると思う人もいるでしょう。
    だけど、そうだとしたら「納める」とは何を修めるのか?「養う」とは何を養うのだろう。目的語に何が入るのかを考えたら、簡単に分かったと思っても、実際は結構面倒な問題になりませんか。
 
 僕の見るところによれば、「修める」とは「身を修める」という意味だと思う。
    こういう言い回しが昔からあったのかどうかは知らないけれど、普通に言い伝えられて来た言葉としては、おそらく『大学』に基づくだろう。
 
 では、「身を修める」とは何の意味か。
 
 『大学』に
「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉う(ととのう)。その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。その身を修めんと欲するものは、まずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、まずその知るを致す。知るを致すは物に格るにあり」
 
と書いてあって、
 
また
「天子よりもって庶人に至るまで、一にこれ皆身を修るをもって本となす」
 
とあり、治国、斉家、修身と並べて書いてあることから考えても、自分が意志の力でもって、自分の体をコントロールすることだろう。
 
 養うとは心を養うという意味だろう。
   そして「養」という漢字は形に表れているとおり、羊の食べ物という意味だ。
 
   仔羊というのはとても穏やかな動物で、あまり知恵がなく、指導する者がいなければ、すぐに道に迷ってしまう。良い方にも悪い方にも誘惑されやすい。そこが、ちょうど人間の心とよく似ている。
 
    昔、墨子は白い糸を見て泣いたと、諺で伝わっている。これは、「人の心は、まだ何色にも染まっていない糸のようで、染め方一つで黒くもなれば青くもなることを感じ入った」ということだ。
    昔、欧州で人の心をタブラ・ラサ(tabula rasa 白紙)と名付けたのと同じことだ。だから人の心を放置しておけば、到底良い方に向けることはできない。
 
    そこで、親羊が仔羊を世話するのに任せっきりにせず、人間までが親羊に手伝いをして育てなければ、他の動物のように完全に成長できない。
    その代わり、丁寧に世話をして親切に接すれば、人によく懐く。他の動物に比べてさらに深く従うようになる。格別可愛いと感じる。
 
   だからキリストも、弟子のペテロが「師よ、予(われ)、汝(なんじ)のために何をかなさん」と尋ねたときに,二回も繰り返して「汝、我を愛するなら、我が仔羊を養え」と教えたことがある。
 
    修養の「養」という字は、各自が持っている、やわで少し荒っぽく扱うと死んでしまいやすい心、その代わり親切に養えばとてもよく懐く仔羊のような心に、食べ物を与えて、寒いときに暖め、暑いときに涼ませて、横道に迷って行こうとしているときに呼びとめて正しい道に帰らせ、あらゆる方法を使って正しい道に従って養育するという意味だろう。
 
参考:『修養』新渡戸稲造(たちばな出版)